函館港
函館港は、安政2年(1855年)外国船に薪、水、食糧の補給港として国から指定された。その後、国費が投じられ近代化されて、青森と函館を結ぶ青函連絡船の港になった。大ヒットした津軽海峡冬景色で歌われている北へ帰る人達の、海の玄関になり、心の故郷にもなった。この写真に見る平和な海にも、暗く悲しい過去がある。
昭和29年(1954年)9月26日、青函連絡船洞爺丸が、台風接近の判断を誤り出航したため、函館港5Kmの沖合で沈没した。1200名近い乗員乗客が死亡、行方不明になった。半世紀以上の前に起きたこの悲劇を覚えている人は少ない。すでに風化されてしまったのだろうか。この未曾有の悲劇が、青函トンネル工事を進める引き金になったと伝え聞く。