江戸東京博物館

江戸東京博物館。開館してから、すでに19年。いまさら説明する愚は避けよう。東京に住んでいて東京を知らないロートルの一人が博物館を訪れた。そして、江戸、東京の歴史を学んだ。JR両国駅から徒歩3分、相撲の殿堂、国技館に隣接する博物館は、忘れ去られ、失われていく江戸、東京の歴史と文化に関わる多くの資料が収集、保存されている。膨大な資料の中から、何とか撮影できた僅かな絵を見ながら文にしてみよう。

 

   

江戸時代は、徳川家康が天下統一を果たした慶長8年(1603)江戸に幕府を樹立してから始まり、慶応4年/明治元年(1868)に、江戸城が明治政府軍に明け渡されるまでの265年間も続いた。6階常設展示室に造られた橋は、幕末期の日本橋北側半分を、当時と同じケヤキとヒノキを使って実物大に復元している。博物館には、江戸時代の庶民生活や文化が様々な形で展示されている。上右は、庶民生活の一齣、屋形船等が模型で再現されている。

 

   

左上は、江戸時代の代表的な芝居小屋である中村座の正面部分を原寸大で復元したものである。当時、芝居小屋では大名も庶民も日常を忘れて歌舞伎の世界に心酔していた。右上は、錦絵の制作過程を示したコーナーで、明和2年(1765)十色塗りの華麗な版画を完成させ、江戸庶民を驚かせた。その時活躍したのが、町の絵師、鈴木春信という人で、役者絵を得意とした浮世絵師だった。多くの仲間達が協力して、世界に先駆けカラー印刷の源流を生み出した。

 

   

上左は、東京に変わった昭和初期の下町。東京市民のオアシス浅草の風景が見られる。その足になったのが右上の円タク。円タクとは、大正12年(1923)の関東大震災で、自動車が唯一の交通機関として注目を集め、タクシーが飛躍的に発展した代物である。しかし、その頃は料金がまちまちで、乗客とのトラブルも多く混乱したらしい。そこで登場したのが、市内一円均一のいわゆる円タクと言うことになる。その主役を演じたのが、アメリカのフオードという車。何ともドデカイ戦車のような車だ。東京では、昭和2年の頃とか。

 

日本が世界を相手に戦った太平洋戦争の悲惨を究めた東京大空襲の記録も生々しく展示されている。左上は、戦後逞しく復活した日本物造りの代表格である自動車産業の中から、懐かしいスバル360が展示され、会うことが出来た。歴史は、時を超えて多くの人に様々なことを教えてくれる。江戸から東京の400年間に、人は何を得て、何を失ったのかを。

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