弟は無事だった

  千年に一度と言われるM9.0の巨大地震と大津波の天災の後、人災とも言える原発放射能に襲われた東北。福島県双葉郡富岡町に住む弟の一家が行方不明になった。まさに爆心地にいた家族は、どれ程の恐怖を感じたか計り知れない。東京に住む我々姉兄が、その無事を願って電話で、インターネットで、その消息を尋ねた。富岡町から川内村を経て郡山に避難したことまでは分かった。その後が全く分からない。後は、ひたすら無事を願って待つのみの時を送った。03/20,地震発生から9日後、家族全員無事の連絡が入った。栃木県の矢板に、親戚一同全員無事に避難しているとの報せが入った。張り詰めていた気持ちが一度に抜けて、一種の虚脱状態が起きた。弟は現在70才。昭和二十年終戦と共に朝鮮(韓国)から引き揚げて来た時、彼は4才だった。「歩けないなら捨てていくよ」今は亡き母の血を吐くような言葉に、幼い彼が懸命についてきた。命がけの逃避行を、生涯二度も経験したことになる。人生、幸、不幸は半分ずつある、次は必ず良いことがある。この試練が、彼を限りなく強くしたと思う。多くの犠牲者の冥福を祈るり、残された遺族に哀悼の意を捧げる。

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